、今日も元気学校はあなたの「元気」を応援します。

 

  1. インタビューシリーズ第3回:仙台バス社長 猪股正之さん

    インタビューシリーズ第3回
    仙台バス社長 猪股正之さん



    ■生まれたときから電車や汽車をいつも近くに見ていました。 [インタビューを見る]
    ■規制緩和でバス専業は厳しくなった。これはすぐ手を打たなければ。 [インタビューを見る]
    ■バスツアーはお客さんが喜んでくれるのが私にとっても喜びです。 [インタビューを見る]



    ●自主企画ツアーという人気商品を生み出した観光バス会社社長

    バス業界の規制緩和で仙台の観光バス会社は何と3倍に増加、価格競争の消耗戦になってしまいました。バスを貸すだけの仕事をタダ待っていては生き残れない、と仙台バスの猪股社長は、ツアーを自社で企画して募集しはじめたのです。

    仙台バス株式会社
    http://www.senbus.co.jp/


    ヤマネ森林鉄道建設事務所
    http://www5f.biglobe.ne.jp/~ysr/index.htm








     
    生まれたときから電車や汽車をいつも近くに見ていました。


    子供の頃は仙台駅の東口に住んでいたんです。今は区画整理でなくなっていますが、そのころは商店や住宅など戦前から残っているようなところでした。

    仙台駅に歩いて5分ぐらいのところだったので、生まれたときから電車や汽車をいつも近くに見ていましたね。列車が入ったり出たりするのを線路際に行って眺めたり、駅の中に入って遊んだりしていました。勝手に入れたんですね、昔はうるさいこと言われなかったんです。駅に行っている間に知り合った駅員さんに運転席にのせてもらったりしました。ほんとはだめなんでしょうけどね、いろいろ見せてもらいました。大きくなったら国鉄(今のJR)の運転手になりたいと思っていました。

    小学校の3年生ぐらいから、鉄道の絵を描いたり、模型を作るのに夢中になってたくさん作りました。材料を模型屋さんで売っていたんですね。紙で箱を作ってカッターナイフで窓を切り抜いてという形。紙じゃないものは中学校になってからですね。金属のパーツを買ってきて組み立てて作るんです。

    ハンダ付けができるようになってからラジオを作りました。マイコンのはしりです。1975年BCL海外放送を聞くのが流行った頃ですね。そのころは自分でラジオを作りました。自分でトランシーバーも作りました。中学2年生の時はハムの免許も取りました。機械好きなのは前からですね。おもちゃ買ってもらってもすぐ壊しちゃうんですね、分解しちゃうんです。動くモノなんかは特にぜんまいからなにから全部ばらばらにしちゃうんです。高校の時はハムばかりやってまして、大学でも無線に夢中でした。

    ◇◇◇

    大学は迷いなく工学部に入りました。精密工学科、マイコンからパソコン、メカトロニクス、機械とコンピュータを組み合わせるロボットのはしりですね。自動で動く機械が始まった頃で、そういう研究ですよね。熟練の人の動作を機械にさせるにはどうしたらいいか、というようなこと。大学の工学部は米沢にあるんです。大学院にもいったので山形に1年、米沢に5年いました。山形では下宿、米沢ではアパートに住みました。自炊ですがその頃は大学に夜間の学部があったので大学で食べられたんです。研究室にガスがきてましたから、本当はだめなんだけど、学校の中で煮炊きしていました(笑い)。

    山形では、車がないとあちこち行けないのでバイクと車の免許取って山の中を走り回っていました。温泉がいっぱいあったので温泉に入っていました。タダで入れるところもあるんです。山菜採りに行ってね、そこで天ぷらにして食べたり。山形に行って自然の中で遊んで歩いたのが、今の企画(日帰りバスツアーの自主企画)にちょっと入っていますね。

    就職した会社は川崎にありましたが、採用は仙台でされました。一年間は仙台にいてその後川崎。工場の敷地の中にあった寮に入りました。その後7年間、また仙台に戻って勤務したんです 。

    ◇◇◇

    サラリーマン時代には蒸気機関車を作りました。図面を見ながら部品を集めて自分で穴を開けたりして完成に7年かかった。今二台持っています。7分の一のと12分の一のと。12分の一はデコイチで、年に4回か5回、イベントで走らせてもらっています。メンテナンスをしないと錆びるんですね。石炭で走るので。走らせた後は煙突掃除もします。

    適当に居心地のいい会社だったけど、平成10年前後になると、いらない部署を廃止したり、人員の配置転換、技術の人が営業に行ったり。90年代の半ばからだんだん変わってきたんですね。

    私が生まれるころまでは父親はサラリーマンでした。車の販売をやってそれからバイク屋さん、レンタカー屋になって、それからバス会社です。バス会社は昭和50年に始めました。 父親の会社に入る気持ちはありました。いずれなにかしなければ、という気持ちでした。オヤジから、そろそろウチの仕事やらないか、といわれて。あまり深く考えないで、会社にも家業を継ぐからと伝えて辞めました。

    父は一週間に何回か打ち合わせにくるぐらいで、あまり会社に来ないんですね。細かいことを言わないんです。社員は父親の時の半分ぐらいになりました。もっと変えたい部分もありますが、昔のしがらみもあるし「そんなことをすると会社がつぶれるからやめろ」と言われて断念していることもあります。その辺に関してはいつもオヤジと喧嘩をしてますね(笑い)。



    規制緩和でバス専業は厳しくなった。これはすぐ手を打たなければ。

    社員との関係が築けたのは3年目ぐらいからです。規制緩和で、売上が下がってきてからです。以前は免許制で宮城県のバスの台数が決まっていたし、ワクのしばりがあってだれでも参入できなかったのが、平成12年〜3年頃規制緩和でバス台数の制限がなくなったために、他業者が参入してきたんです。トラック屋さんやタクシー業者などが入ってきて、県内で30社ぐらいだったのが100社ぐらいになった。価格がどんどん下がってバス専業は厳しくなり、これはすぐ手を打たなければと思いました。

    たまたまそんな時、平成12年頃、貸し切りバス事業でうまくいっているところがある、自分で企画して募集している、という内容のセミナーがあるのを知り、東京まで聴きに行ったんです。うちも旅行業の免許があったのでそれならばうちでもできる、このへんでやっていないからうちでもやろう、と思いましたね。

    社員全員で、おもしろいコースづくりを研究しています。社員はいろんなところを回っていますから、お客さんの反応をいつも見ている。そんな社員におもしろいコースを提案してもらって、満足してもえるような企画を考えています。

    ◇◇◇

    社員が添乗員です。自分が企画したのに添乗し、こっちで考えたこととお客さんの反応と違うときは、それを修正してまた次に生かすようにしています。最近の旅行会社がつけてくる添乗員は派遣会社からくるのが多いんですね。行ったこともないところに、安い人件費でくるので、わからない人がくるんですよ。お客さんが聞いてもぜんぜん答えられないこともありましたよ。うちのように自分のところで企画して、自前の添乗員だとわからないことはないからいいんです。

    どの企画が成功してなにが失敗するかはわからないですね。たまたまテレビで紹介されるとわーっと来たりしますけど。外部要因が大きいのかな。このへんだと新聞やテレビの地方局でやっている情報番組で紹介されたりメディアにのると効果がありますね。

    最初は新聞にとても載せられないのでフリーペーパーに単発の企画を載せてお客さんを集め、次に地域を絞ってお客さんを集めました。メルマガは三年位前から始めました。チラシができたときにUPするぐらいですけど。客層が50〜60才になるとネットの申込みは少ないですね。反応があるのがディズニーランドのような若い人向けの企画です。でも、今年は花火がほとんど売れちゃったんですよ。花火が人気なんです。ディズニーランドにしても大曲の花火にしてもコンテンツ自体がすごい集客力があるコンテンツなんですね。普通の秘湯などちょっと変わった企画はネットではあんまり集まらない。リピートしてくれるお客さんでうまっちゃうんです。有名なものはネットで集まるけどマイナーなものはハウスリストのお客さんです。


    バスツアーはお客さんが喜んでくれるのが私にとっても喜びです。

    仙台周辺にはいいところがたくさんあるので全国から来てもらいたいと思うけれど、調子にのって観光地化するといけない。そこはコントロールしないと。その辺のかねあいは微妙ですね。ブームになっちゃったらいけないので、ゲリラ的にやっていかないと。これからは大量集客じゃなくて20〜30人程度。中身が濃いもの、例えば温泉なら掛け流し。料理なら地場の旬の物。そういう本物志向の旅行を提案したい。旅行を楽しんでもらって喜んでもらえばいいんですよね。温泉に入ったり、おいしいもの食べたり、景色見たり、時間を楽しんでもらいたいと思います。

    これからは、他社他県の同じ事をやっているところに企画を提案したり、ウチの趣旨がわかってくれるところ、同じような考えでやってくれるようなところと組んでやっていきたい。こだわりのある若い人を増やして、お客さんが楽しんでくれるような企画を立てたい。仙台バスのツアーはおもしろい、と行ってもらえるような企画を増やしていきたいと思っています。

    前はものをつくるのが面白かった。でも、ものをつくるのは自己満足になりがちなんですね。工場で自分が設計して作ったのができたのは面白かったけどそこで終わっていた感じがするんです。バスツアーはお客さんが喜んでくれるのがうれしい。お客さんが喜んでくれるのが私にとっても喜びです。

 

  1. 「」

 

  1. ■元気学校とは
    ■元気学校サービス一覧
    ■会社概要
    ■お問い合わせ

 

  1. ・作家 山崎洋子さん
    ・田中家女将 平塚あけみさん
    ・仙台バス社長 猪股正之さん
    ・ロバート・ゴールドマン氏

 

  1. 第1回:三陸ー大船渡ツアー
    第2回:石巻ー牡鹿半島ツアー
    第3回:東鳴子 水と温泉ツアー
    ※アンチエイジングツアーとは?

 

  1. ふるさとマルシェ ネットラーニング English AyaPod

 

  1. 「アンチエイジング・サロン」パーソナリティが毎日お伝えします

 

  1. 「元気日和」元気を届けるショップサイト

 

  1. 「GenkiCAST」元気人にインタビュー

 

  • お問い合わせお気軽にご連絡ください。

    元気学校は、個人と社会の<元気>を生み出すことを使命とします。また、そのための商品・サービス(メディア、場、道具等)を開発・提供します。
    元気学校へのお問い合わせはこちらまで

© 2004 Genkigakko,Inc All rights reserved.

株式会社 元気学校 運営サイト:アンチエイジング・サロン ノルディックウォーキング・ネットワーク 元気日和 元気キャスト